シニアの忘備録

ぐだぐだの毎日です 自分励まし

父の事を想う

父の日でしたね

父の事


父は、4年前、義父は6年前に亡くなってる。


父は、自営業で、肉体労働だった。


高齢になったら、隣町で腰の手術したが、術後の経過悪く、2年経ち、大きい病院まで、半日バスに乗り再度手術をすると自分で決めたが、最初の処置が悪く良くはならなかった


入院してから、お見舞いに行くと、ぼーとして窓に映った反射が面白いと言ったときほど、焦った。

始まっちゃたか?


妹に、実家迄運転を頼んで予定より早く帰宅

母は、入院費が保険から下りるのにまだいてほしいとか言ってた。


その後父は、私が帰省すると、

私達夫婦の仕事や家のローンは大丈夫か、大事な物の場所や自分の生い立ち、すでに亡くなった叔父さんのお墓の事などを話した。

妹は、時たま寝てた感じ

亡くなる二年前だ。


ただ、ペーパードライバーの私に車の運転を、練習とか行ってやってみたが、ぜんぜんできない。

随分とガッカリしてた。


ずっと痛い痛いと言い脚や腰をさすってあげる。

その痛い痛い痛い痛い痛い痛いが私の頭の中でまだ思い出して、亡くなった時にはこれで安らかになったと手を合わせた。


母が、旅行行くと言っても自分は、行かない

亡くなる前は、母のために、庭づくりをやっていた。

雨の中

靴を揃えて庭先で亡くなる。

心不全だった。


私が小さい頃は、仕事と賭け事、マージャンパチンコで家庭の事は母任せ

なのに、他人に、気前良く家に泊まらせたりご馳走したりが多かった。


私が思春期の頃は、叔父さんに頼んだ人だったから私も近寄りがたかった。


昔の父親なんてこんな風かも


私の頑固そうな感じの顔、四角い大きな爪は父親譲り


病気で禿げだったから、そこは似たくないが、私も髪の毛が貧相になってきた。

美容院の人は大丈夫と言うけど


義父は、旦那が小さい頃は、気が荒いと言っていた。定年後太りだして、あそこまで太る前に義母は、なんに言わないのが分からなかったが、旦那もその父に似てしまい、義父の礼服がピッタリになってた


旦那は、日曜は、朝からエキスポライブに行ってきた


帰ってから脚が痛い痛い痛い痛いと言うと、私はまた父親を思い出す。


アワビソテー、マグロとカツオせっかく買ってきてくれたので

朝、ブルーベリーにミントアイスとヨーグルト

昼 やっと、もち米の消費終わる

キャベツは歯が疲れた


旦那は、エキスポライブに朝から行った。

凄い混みようだったと

行かなくて良かった


ぜんぜん知らないバンドばかりだ。

先日私が話した、吉野家の唐揚げ定食があり、食べたいと言っていたのに1人で食べる

なんてやつ

生姜が効いて美味しかったと 😗



菅田さんの百花を見る

菅田フアンなのよね。

なんか人の記憶って何個かしかいのか?

5人に1人は、かかると

私もなるわよね、

今迄の事も忘れているから